Decaf.

ニューヨーク二日目。一応この日がメインとなるのでしょうか。
朝はホテルのレストラン扉の横にて自由にもらえるコーヒーをいただく。
Decaf.と書かれたコーヒーはカフェインがないのを言うのね。英字でかかれた砂糖のパッケージとか、開けにくいミルクとか、そうした一つ一つが海外らしさを一つ一つ感じさせてくれるなあと思った。
朝は父と朝食を買うために辺りを散策。清掃のバイト達が集まってる横を通ったら、清掃員の一人がおならをしていた。恥と感じないんだろうか。
少し回っては、小さなショップに入店。毒々しい色のシリアルとパンと、ヴィックスを買った。ヴィックスは店主の背後の棚にあり、なんとか中学で覚えた英語を使いながらヴィックスをゲット。
しかし、cold medicineといいながらくれるのがヴィックスっというのはなんだかなあ。
父はそれを飲み、ぼくは母と行動。一応、苛立っていた母は一晩経てば機嫌良くなってたからよかった。
父とはiMessageで連絡とっていた。ipadをホテルにおいては父に託し、なんとか使っていただいていた。
ホテルにWi-Fiがあってよかったよ。
51st.から86st.までいったんだろうか。無機質でアナウンスも特にない、自由奔放でもどこか冷たい雰囲気な地下鉄は日本の地下鉄とはまた違うなあって思った。地下鉄という暗い、壁などもあまり綺麗でない雰囲気はどことなく悪くはなかったかな。
86st.駅から86st.を通り、西へ。
途中で、STATE NEWSというおもちゃ屋に入った。アメリカのおもちゃ屋には、おもちゃはもちろん、パーティ用のグッズが売ってるからアメリカ人が普段何をやっているかというのがなんとなくわかっていた気がする。
パーティにしても、パーティ用の紙皿は特定のキャラのもので揃え、特定のコップで揃え、特定のキャラのテーブルクロスで揃える。
当たり前のようにマイリトルポニーのグッズもあるし、ああここはアメリカなんだなあって思った。
同時に、ペンギンズのグッズも探したけどないから残念。AngryBirdのコップが安く売ってたから購入。今では新居のペン立てに使っております。
再び86st.を西に歩いては、セントラルパークに到達。
アメリカで一番行きたかったところだなあって思った。ただの公園なのに、よく見るような自然なのにどうしてこんなに行きたかったんだろうなあって思う。
都会の区画の中に大きな公園があるのってすごく羨ましいなあって思う。
飛鳥山公園とか、駒沢公園とか、都会の便利さの享受と、自然の豊かさの享受をバランス良く保てそうな気がして。
セントラルパークを見ては左折し、美術館へ。
美術館はそんなに興味なかったけど、なんというか、でかすぎて周りきれなかったし、またニューヨークにいっては美術館をみて周りきれなかったとつぶやくのだろうかとか、考えていた。
美術館は母が興味をもっているエジプトのコーナー中心と、高級そうな食器をみていた気がする。
にしても、美術館の入館証はバッジみたいなものなんだね。
入館チケットよりも、思い出として残りやすいのかもしれない。
美術館を出た後は、美術館正面の出店でプレッツェル購入。
公園のベンチで食べたけど、固い。塩はしょっぱい。
プレッツェルを食べていると、こぼれたかすを求めてはスズメが食べに来る。
日本のスズメも、アメリカもスズメも変わらないんだなあ。

セントラルパークを少しすすむと、リスが木のまわりでうろちょろしていた。
リスの回りに外国人が集まってたなあ。なんか聞いたことある言葉だなーと思えば日本人が。
高貴そうなお父さんと、NYでるるぶを回転させるお母さんと、大切に育てられた娘さんだった。
NYで何人か、日本人をみたけど、見た中で一番まともな人たちだた気がする。
友達同士でギャアギャア騒いで海外いくなら、ヨーロッパとか、ハワイのほうが合っている気がするんだけどなあ。

セントラルパークはリスが多いのか、撮影には最適でした。
池を横切っては、レンガ調のトンネルを抜けると、そこはセントラルパーク動物園の門に到着。

今回の目的はここでした。

ニューヨーク到着初日のお話

ホテルに荷物に置いてからとりあえず昼飯にしようということに。
最初は近くのMcDonaldな雰囲気だけど、そこにいく手前のDELIにて食事をすることに。
容器に好きな料理を詰め込んでは、量り売りで料金を支払う形式のDELI。
「Brown rice」と書かれたご飯(おそらく麦飯)をチョイスしてみたけど、パサパサしてて美味しかった。個人的に水分なくて固いご飯のほうが好きなんですよね。
それと野菜とか肉とか適当に詰め込んでは、カウンターで売っている食紅で彩られたカップケーキをチョイス。
かんでみるとスポンジも赤く染まっているし、食べると舌が赤くなるくらいショッキングピンクな色をしていたけど、味は美味しい。
中に白いクリームみたいのが入っていたかな。糖分に糖分を重ねたような味だけど、甘すぎると思うことはなかった。

1階はカウンター+ドリンクのショーケースなど、カフェと小売の中間な感じの雰囲気だったけど、2階は下で買ったものを食べるスペースだった。
午後3時すぎだったのか、客もあまりいなく、暗い雰囲気ではあるけど落ち着けるスペースだった。トイレも綺麗だったし。

小売のスペースではピーナツバターとか、ヨーグルトとか、飲み物中心においてあった。
パッケージの一つひとつが珍しいために、おみやげにしておいいくらい。

3人で50ドルくらいだった。量にしては値段が張っていたような。

その後は、徒歩でロックフェラーセンターへ。
ロックフェラーセンターの1階から展望台に行くにはどうしたらいいのかとあたふたしつつも、チケット売り場へ。
25ドル×3人と聞いてそれだったらいかなくてもいいかーと父にいったら少しやけくそ気味だった父親に後押しされてチケット売り場のカウンターまで。

ロックフェラーセンターの展望台にいくまでにギャラリーを通りつつ、展望台のエレベーターへ。
エレベーターは、一見普通のものかとおもいきや、動き出した途端、天井が透明になり、内部が見えるなったかとおもいきや、天井に映像が映りだし、音声が流れ、エレベーターの四隅が青い電飾が光り、なんとも言い難い空間の中を登っていった。

ロックフェラーセンターの展望台からはニューヨークが見渡せた。
ずっと行きたいと思っていた、都会の中に大きく緑を構えるセントラルパークの存在に感動した。
多すぎる巨大ビル群の存在に現実味がわかない感じも多少はあった。

25ドルという金額は少々高いと思ってたのは、自分が日本人だからなのかなーと思っていた。サンシャインシティでもそれ以下の金額では入れただろうし、ましてや都庁は無料である。
いつのまにか、金額の感覚というのが日本の基準になっていた。

アメリカはガソリンや映画の値段が日本より安いと思っていたが、食料品や観光地の面では、決してそんなことはないんだなあと思い知らされたかもしれない。
もちろん、店によるのかもしれないけど。そこは勉強不足だった。

ロックフェラー近くのRADIO CITYのネオンに感動しては、その近くのpharmacyという店へ。薬局と食料品を売っている店だった。

そこで、物品を選んでいたら、トイレに行きたくなって、母親を怒らす羽目に。父親もトイレにいったあとで、どこで何しているのかわからない状況だったから、母にとっては辛かったんだろう。
自分はロックフェラーセンターの受付にてトイレの場所をなんとか聞き出しては個室にありつけた。
その帰りに、ロックフェラーセンターのスケート場の写真を撮れたのもいい思い出である。国旗が大量に掲げられたなかに、音楽が鳴り響き、都会のビルに囲まれたほんのちょっとしたスペースに親子がスケートをしている姿。
17時過ぎだったとは思うけど、時間を感じさせない活発さを感じた気がする。

自分はトイレから店に戻ったはいいけど、父親がなかなかこないから心配だった。
なんとか、食料品かいつつ、電車でひと駅ほどではあるが地下鉄で移動することに。

地下鉄の治安はよくなったとガイドブックに書きつつも、その暗さや、案内の不親切さは結構感じ取れた。

母を1人にさせたこととか、なかなか目的の列車がこないとかでいろいろ揉めそうになったというか、険悪な雰囲気に。
歩いて帰れる距離だったし、電車を待っている時間がすごく長かったから、自分も多少はイライラしてた。

駅についたはいいが、自分が地図をみつつ、辿り着いた場所がコートヤード・マリオット系列の、よく名前が似たホテルで、実際に間違えるまでに地図で印をつけていたところが間違っていたことが一番痛いミスだった

そこからなんとかホテルに辿り着いては、爆睡。
夕食どころではなかった気がする。ちょっとここらへんの記憶があまりないし、写真も撮ってないし。
ただ、母がいうには、自分も父も寝ているが、外に出るわけにもいかず、時間を過ごしていたとか。うーん。

起きてからはpharmacyでかった冷凍食品(多分ピザを)ホテル内のレンジでチンしては食べてた。ピザみたいな味でパイにつつまれた感じだったけど美味しかった。4ドルくらいだったのかな。

ナイアガラ→バッファロー移動記

ナイアガラを出発する日の朝食はホテル近くにあるApple Bee'sで。内装は普通のファミレスみたいなデザインで、日本のファミレスと大した違いはなかったと思う。朝食のサービスでは、オレンジジュースと水とコーヒーが出た。にしても水をいれるコップがデカすぎ。これが欧米クオリティか。
メニューはスクランブルエッグと麦パンとソーセージ、ベーコンだった。ベーコンの硬さとか、ソーセージのジューシーさとか、麦パンにつくクランベリージャムとか、バターが全てが欧米スタイルな感じだった。
ホテルを出ては、現地の案内人と合流。この時、始めてアメ車に乗ってみたけど、シートベルトを着用するにしても席とシートベルトが離れすぎててシートベルトを目一杯伸ばさないと着用できない仕様。さすがにこういうところは日本製マンセーしちゃうね。

レインボー橋を抜けて国境へ。最初の入国審査が思い通りにいかなかったのがトラウマになってたので、アメリカに入国するのでいろいろと不安を抱えていた。
入国審査してたのは男性と女性1人ずつで、女性に入国審査していただきたいなーと思ってたら男性にヒット。あーこれは時間かかりそうだなーって思ったらすんなりと通してくれた。

というわけで2回目のアメリカ入国。

国境を抜けてから、バッファロー空港までは気分が悪くなるようなことはなくてよかった。途中で案内人のトークで、道路の横に核燃料の廃棄物処理場がここらへんにあるんですよーとか、「高円寺に住んでるんですけど、小5のときに江ノ島に行ったー」「東京はダメですねー、渋谷とか行けないですー」とか都会に住みながらも田舎嗜好な人間だったけど同じ都会であるニューヨークについては褒めてた。ただのひねくれ者かよーとか思いながら外の写真を撮っていた気がする。

バッファロー空港までの道のりは大した面白いものはなく、ヒュンダイの販売店セブン-イレブンがポツンと寂しげに立っていたぐらいだった。まだ緑に生い茂ってない木々がだだっ広い道路を置い囲むような光景をみてはこれがアメリカの郊外かーと感じていた。

バッファロー空港では、特に感動もなかったのかあまり写真も撮っていなかった。
空港からジェットブルー航空へ。始めて聞く航空会社だったが、なかなか乗り心地はよかった。
JAL機みたいに席に一つ一つ、液晶テレビが設置されており、持参したヘッドホンでテレビや音楽を聴ける感じ。ヘッドホンを忘れた方はその場で買うことができるみたいです。
テレビはスポーツ、グルメ、アニメ、ニュースなど様々なジャンルに分かれており、アニメだとニコロデオンやCNが見れたりと個人的に興奮してた。ニコロデオンではミュータントタートルズが放送されてたなあ。
音楽はジャンルごとに鑑賞可能。クラブ系の音楽を聞いていたけどもうどんなのを聞いていたのかは覚えてないや。
定期的に客室乗務員がお菓子をくれたり。ちょっと色がどす黒いマーブルチョコだったり。
クランベリージュースが美味しかった。小さな市販の缶を2つ出されただけだったけど。

あとはダンキンドーナツコーヒーとかもあったけどそれも飲みたかったな。旅への物足りなさがまた行きたい気持ちへと変化させるのでしょうか。

ようやくJFK空港へ。航空機が地上に近づくにつれて空港付近はNYらしくない感じだった。
そしてまた現地の案内人に連れられて車へ。ここでもアメ車炸裂でシートベルトするだけで一苦労で苦しかった。

JFK空港からホテルまでの道のりはGTAで見たような景色であふれていた。工場街なのか、ペインティングやゴミであふれた街を見たときはゲームで見たような治安の悪い景色が広がっていたし、こんなところに泊まるのかと思うと急に不安になってきた。

ところが、ミッドタウンに近づくにつれて、自分が思っていたNYが近づいてきた。
碁盤状に整備された街にはクラクションが鳴り響き、碁盤状に整備されているために遠くまで見渡せるでかいストリートやアベニューが広がっていた。
轟音のする高架下を通っては、テレビや映画でよく見る、自分が行きたかったNYが確かにあったことにちょっと感動した。

ここでもまた一眼レフを走らせる。街中では遠慮がちになってしまうカメラも車の中では堂々と撮れると思い、カメラのシャッター音が加速していった。

泊まった場所は3rd Ave.沿いで52,53st.に囲まれたホテルコートヤード・マリオットミッドタウンイースト。
改装中だった1階は完成予想図のパネルが仕切られていた。完成したらもう一度泊まりたいと思う。
12階でチェックインへ。
14階に泊まるということだったけど、表記上、13階はないので実質13階というところか。
部屋はカナダのホテルよりも過ごしやすく、テレビも液晶で良かった。ホテル内はWi-Fiが使えるから通信料とか気にせずにネットができるのはよかった。

14階にはトレーニングルームなどがあり、ルームキーを差しては入室可能の仕組みだった。
ランニングマシンとかバランスボールとか、サイクリングマシンとかダンベルとかそれなりに本格的だった気がする。誰もいなかったけど。

ナイアガラの滝旅行記

THE OAKES HOTEL OVERLOOKING THE FALLSに泊まって一番不便だったのは、コンセントの穴がスカスカで、挿しこんでも上手くはまらないことだった。
案の定、電子機器を持ってきた自分にとっては苦労するハメになったこと。
あと、部屋の都合上、エアコンの暖房が効きすぎて乾燥して風邪を引きやすくなるのではないかということ。
一応、濡れタオルをソファーにかけて対処した。
事前にうがい薬を持ってきたのは正解だったと思う。イソジンじゃないやつ。
冬のナイアガラ付近の気温は、雪が降った時の東京よりも寒く、道端には前日かに降った雪が綺麗にのこっていた。日本みたいに路面凍結ということはなく、道端の雪を踏んでもさくさくとふみ心地がいいのは雪の性質が微妙に違うからなのかとか考えながら移動してた。
冬のナイアガラ地帯は夏や春ほど賑わっているわけでもなく、冬の間は霧の乙女号や一部バスが運休だったりと悲惨な中、徒歩でナイアガラへ。
道を歩いてたときに家族と話してたけど、地盤が日本と違って固めなんじゃないかとか雑談しながら移動してた。

カナダ滝の付近のおみやげ屋でトイレ休憩。カナダをおみやげ屋で売っている商品は動物のぬいぐるみが多かった印象がある。あとはメープルだったりと、自然派な印象を強く持った。

あと印象的だったのが、「ナンシー」など、よくある名前が刻まれたマグカップが売っていたこと。こういうのは日本独自のものかと勝手に考えていたけどそうじゃないんだね。

再び移動してはクリフトンヒルへ。ホテル内のローカルチャンネルで視聴したギネスのミュージアムやら、お化け屋敷や、テーマパークなどが揃った通りであった。

腹ごしらえということでウェンディーズへ。チキンのハンバーガーを食べたけど、日本で食べる濃さや味とあまり変わらなかった。
あとウェンディーズ内は広く、ケチャップが自由に出せる機器があったのが印象的。
ウェンディーズとゲームセンターが扉一枚で繋がっており、カナダ現地のゲームセンターに初行脚。DDRがあるかと思ったらin the groove2とかいうほぼDDRの筐体をパクったゲームがあったり。

クリフトンヒルを覗いてはギネスワールドレコードミュージアムに入ろうとしたが、入館料が高いため断念。クーポン使っても48ドルぐらいだったから急に冷めてきた。
Rainforest cafeとかいう熱帯雨林をモチーフにしたカフェやショップがあるから爬虫類好きにはたまらないんじゃないかなーとか思った。

クリフトンヒルにはいくつかゲーセンがあり、ヒルトン近くのゲーセンにDDR EXTREME発見。日本語の画面で置いてあったけど誰かやるのかしら。

そんなこんなでクリフトンヒルからスカイロン・タワーへ。実際、スカイロン・タワーには昇らず、下のゲーセンをチェックしてた。冬だからなのか、アミューズメントコーナーのフードコートは全てシャッターがしまっており、観光地だと思い歓迎されるかと思ったら全くそうではないあたりカルチャーショックだった面もあったり。

夜は中華がいいと父がいうので中華に。日本の中華料理店とは違って、シーフードうどんなるものを頼んだら焼きうどん的なものが出たりと、完食できるようなものでもなかった。
 しかし、ぼくは鼻炎にかかっていたせいか、匂いがきつかったと言われる鶏肉を完食してはマンゴープリンを堪能していた。その中華料理店で一番美味しかったのはサービスのお茶だったかな。
 カジノ内にある中華料理店を利用したけどクオリティは家族の目線で言うと低かったとおもわれる。日本人好みではないのは確定的に明らかというか。
 そんなこんなで翌日にナイアガラを出発し、国境を車で越えてバッファロー空港に行くので翌日の準備。
 どうも、時期が悪かったのか、冬のナイアガラは冷めるからやめたほうがいいというのが結論だった。

旅行のまとめ書き

シカゴ空港に到着し、長いエスカレータを下ってはダラダラと税関に並ぶ。ここで始めてレンタルしたWi-Fiルータを出してみるが、地下だったのか、電波なしでガッカリ。
データローミングはオフにしてたが、SMSに現地の通信会社につなぎましたとかでて冷や汗出た。実際は何も請求なかったから良かったんですけど。
税関では家族で一枚税関の紙を提出すれば良かったけど、そのことすら知らなかった自分はいかつい男の税関で引っかかってあうあうしてたら父から税関の紙を渡されて、なんとか乗り切ることが出来た。
後から知ったけど、指紋の採取なり、やるのが普通みたいだけど、自分はなぜかそれをスルー。これで良かったんだろうか。
パスポートの税関のスタンプも期限無かったような。

 なんとか入国審査終えて、ツアーの人の説明を受けた後、外に出てみる。空気の感覚は、地元に雪が降ったときのような雰囲気ですんなりと馴染むことができたが、やはり日本と違うのは標識であった。
その時からテンションの上がったときは一眼レフを取り出してはシャッターを押しまくった。
 当時、自分の中ではくまなくシャッターを押していたつもりだが、スポットごとに集中的に撮っていたのか、道中の写真があまり無かったのが残念である。
 早めに出国審査を済ます。アメリカでは靴も脱ぐんだね。まだ肌寒い冬であったために、上着を何枚も着ていたため、脱いでチェックしてまた着るという動作をなんどもやっていた気がする。
 更に、電子機器は携帯電話(iPhoneガラケー)、iPadWi-Fiルーター、3DS、バッテリー、カメラを持っていたためにいろいろ面倒だった。
 時間があるということでカフェで待機。4ドルほどのホワイトチョコレートラテかなんかを頼んだかな。そこで舌を火傷する。
 アメリカのトイレの個室のドアは足のあたりの隙間があるために誰がいるのか一目瞭然。でも、そこまで嫌な気分にはならなかったし。
 手を拭くための紙はセンサーに手をかざすと自動で一定の量の紙が出てくる機械だった。自分は今まですごい偏見を持っていたのか、綺麗な紙が難なく使えるのは日本ぐらいだと勝手に推測してたが、日本の空気で乾燥させるのよりははるかに楽だし、早いなあと思った。
 ちなみに、手洗い用の紙が出てくる機械はカナダもアメリカもだいたい設置してあり、旅行中、鼻炎だったのか鼻水がすごく出てた自分にとってはティッシュとしても使えるありがたいものだった。
 特に乾燥もしやすく、旅行中に風邪を引いたらたまらないと、飲食店にいくたびにトイレにいっては石鹸をつけてたなあ。石鹸がまた化学薬品くさい人工的な匂いで今でもたまに思い出す。
 シカゴからトロント空港へ。アメリカン航空を使って移動。アメリカン航空は、今まで乗ってきたJAL機と違い1列に3席しか席がなく、高速バスかよとか思うぐらいの小ささだった。
 客室乗務員は1人しかおらず、しかも制服を着ているわけでもなくパーカーで応対していた。最初は普通の人かと思ったよ。
 機内ではちょっと端っこがボロボロになった冊子を読んでいた。冊子には壁へのペイントを肯定的に評価する論文がかかれていた覚えがある。
 配給される飲料はクリスタルゲイザーだったり、コカコーラと、馴染みのあるものだった。コカコーラを飲んだが、日本のと違和感なし。
 1時半ちょっと乗って、トロント空港へ。国境を越えているために、また入国審査。だるい。
トイレ近くの給水器で鼻を洗ってはちょっとでも鼻炎対策をこの時既に行なっていた気がする。
 現地の案内係の車に乗せられたのだが、スピードが早く、酔っていた。乗せられた車はトヨタ車で、「わートヨタ車だー」と馴染みのあるロゴに惑わされていたが、実際にガイドの運転する車が早かったのか、荒かったのか覚えていないが、車に搭乗し、周りの景色を撮りまくっていた自分は次第に消え、カバンの中からJAL機でもらったエチケット袋をピリピリと破いていた。いつでも覚悟はできている状態のまま死にかけていたら、ナイアガラ到着。
 道中、いくつも車線のある道路の向こうにある住宅を眺めていたが、どれもおしゃれではあるが、分譲住宅のようなありきたりな住宅の陳列だなあと同時に感じた。
 ナイアガラのホテルのグレード上、寝れればいいや程度で妥協していたが、トイレに設置されていたトイレットペーパーは一度用を済ませただけで空にしてしまうくらい量が少なかった。
 英語圏にも関わらず、靴を履きながら室内を移動するのがだるかったために堂々と靴下を履いたまま移動してた。
 グレードは普通だが、窓からは冬のナイアガラの景色が一望できた。左手には「CASINO」と書かれたネオンサインが色を変化させながらゆっくりと光っていた。
 国境を超えたアメリカ側にもネオンサインで光った派手な建物があった。意識しなくても思い出すんだろうか。
 食事に行こうということなので外出。観光地なのか、食事する場所には恵まれていた。ステーキハウスなり、洋食屋なり、イタリアン料理屋など。自分の希望でイタリアン料理屋に行くことになった。
 17ドルほどの料理を1人一品ずつ頼むが、自分の頼んだ料理はチーズが濃く、とても食べられない、しかも量が多い。フィッシュアンドチップスは魚がまるごと一匹乗せられ、太くて長いポテトがどっさり。ハンバーガーも一回り大きいと、値段も量もビッグサイズでああこれが海外クオリティなのだなあと感じた。
 しかし、レストラン内の雰囲気は良く、外装としては日本のファミレスみたいな感じだが、内装はそれのようなありきたりなデザインではなく、しっかりと食事のできる落ち着いた雰囲気でキャンドルの照らされた中で部屋の雰囲気を噛み締めていた。
 翌日のための食糧購入。店に入ると「Hi」といわれる。なんとなくガイドブックでそういうしきたりだと書かれていたが、実際にやってみると気持ちいい。見るからに外国人の旅行者に対しても無差別にしてくれるあたりないがしろにされてない感覚が芽生えてきたのか、日本では味わえない感覚を覚えた気がする。
 飲み物は100%オレンジジュースを購入。日本のオレンジジュースはたいてい濃縮還元されているが、カナダやアメリカのは濃縮還元されていないのだろうかとか思った。100%とあるだけ、馴染みのある味で良かった。
 それと記念にTシャツ購入。カナダではサウスパークなり、アメコミ系のTシャツが充実していて感動した。日本では滅多にみないようなTシャツがあって羨ましいと思ったよ。
 部屋に帰って速攻で寝てた気がする。もうこの時に14時間の時差があったが、ホテルに泊まった初日から時差に順応してた。
 3時頃に起きてシャワーを浴びようとするが、シャワーの出し方がわからない。やけくそで下の蛇口から出るお湯に頭をつっこんでは髪の毛を洗っていた。
 部屋のブラウン管には地元ナイアガラの観光スポットを宣伝するCMが一定のサイクルで流れており、レストラン(Apple Bee's)、スカイロン・タワー、テーマパークの宣伝だったりと、U局でみるようなゆるい宣伝CMが流れていた。
 スカイロン・タワーのCMで、地上にあるアミューズメントコーナーの映像が流れており、DDRの筐体の映像が流れていた。
 4時頃から朝食の時間である8時くらいまで父と雑談していたり、窓から見える夜景を必死に撮っていた。

ナイアガラ,アメリカ旅行のことでも

2013年2月28日から3月06日までカナダ側のナイアガラ、ニューヨークに旅行してました。
テキストとして残しておきたいんで、なるべく覚えているうちにぼちぼちと書いていきたいと思います。

1日目

 朝5時起きに起床。前日はTXの「たまこまーけっと」を視聴してからの就寝なので就寝時間は2〜3時間程度。朝食の内容は覚えていないが、米国はパンばっかだから今のうち米を食っておけと父親が前日まで五月蝿かったのも思い出なり。
6時過ぎに通勤客と一緒に成田空港へ出陣。ラッシュ時にスーツケースを持ちながらの移動は気まずい気分になりながらも、仕事に行く人たちと明らかにそうではない自分という溝を勝手に感じては思い込んでた。
 京急に乗り換え。京急日暮里にて、もうすぐ急行が来るってときに腹痛が。急いで階段降りては自分でも驚くくらいのスピード(普段はゆっくり用を済ますタイプ)で、用を済ませては、再び親の元へ。京急に乗る回数はほとんどないが、京急パンダがブサイクすぎて泣ける。営団地下鉄時代の「ドアに注意!」に描かれていたネコは可愛かったよなあとか思いながらロングシートに座っては田舎臭い千葉の田畑を抜けて成田空港へ。
 田舎臭い千葉の風景を抜けるとき、窓には水滴がついていたりと、あまり天候はよろしくなく、もやかかかっていたような。
 成田空港駅周辺は言うまでもなく栄えているし、成田駅で乗り換える人も多かったが、成田空港で働く人たちは成田駅でマイホームを構えてはは近隣の成田空港出向いてるのではとか考えてた。
 本来、空港という交通機関施設がなければ成田駅周辺の地価の価値なんて低いのに空港というものがあるためにそこら辺に家を買いたがっている人は足元を見られているのだろうとか考えてた。成田空港に着いた時点で既に疲れている。というか移動時間と移動までの退屈さが窮屈だった。
 成田空港についてはGLOBAL Wi-Fiの受け取り。カナダとアメリカ用のを一週間ほど借りて1万弱。保険なし。
 今まで成田空港に行ったことがなかったために、成田空港内に連絡シャトルがあることに感動。空港のちょっとした設備に感動してしまうあたり少し田舎臭い体裁を見せていたかも。
 出発コンコースで食事を取ろうにも飲食店は比較的高め。売店などを確認してソフトクリームをなめては暇なのでiPadTwitterやってた気がする。あと一眼レフで写真を撮ったり。
 カナダのトロント行き空港出発ゲート周辺の待合席は言うまでもなく外国人観光客がたくさんおり、あーこんな人種も違う人と狭い室内を共にしないといけないのかーとか思いながらJAL機に搭乗。
 沖縄行く際にも感じたけどJAL機というか日本の航空会社のサービスは良すぎて快適だと思うし、その一方で客室乗務員の負荷を考えていた。
 それでも、JALオリジナルのシークワーサージュースは美味しいし、コーヒーや紅茶も堪能した。1つ1つ丁寧に個包装にされながらミルクとマドラーに感動しつつ何杯も、13時間の移動時間の中飲んでいた。
 JAL機内のトイレに置いてある千代紙の意味とか、トイレの吸い込みの怖さとか、狭いながらもそこいらのトイレよりははるかに機能的なトイレに興奮してた。
 機内では映画「けいおん」やアルゴという映画を視聴。特に映画「けいおん」は航空機でロンドンに行くというストーリーであったから、同じように航空機の移動中に観るけいおんは地上で見た映画けいおんより特別に感じられたし、航空機の中のシーンではあー自分たちの今の状況と照らしあわせては移動してた覚えがある。
 アルゴもCIAの作戦により、脱出するというストーリーであり、終盤で急いで飛行機に乗っては脱出するという航空機が出てくる映画を連続で見てはくすぐったくなる気持ちになっていた。

 まだ日本時間では昼の時間であるときに航空機の窓から見える景色は次第に暗くなり、窓を覗きこんでは星が見えないか覗いでいた。なんとか、一眼レフで写真を撮ろうにも、窓で反射して撮れないのを試行錯誤して反射されないように撮影していた。
 機内食は肉か魚かを選択。和な感じが気に入ったので魚を選択。
国際線での機内食も初体験であったため、無駄に写真を撮っていた。狭いテーブルでこぼさないようにもそもそと食べるのはシュールであるが、その中で少し特別な時間を味わえたような気がする。味噌汁はしじみの味がきいているのか、普段飲むものより美味しい。
 機内のテレビで観る音楽(タンポポ恋をしちゃいました!とか仮面ライダーウィザードのOP)なども聞き飽き、ゲームもすぐに飽き、動画もドラえもんを流し見して退屈だったのを覚えている。
 ところが次第に窓から陽光が差し込み、航空機の下にある雲の形がうっすら確認できるようになり、いつも見ている太陽とはまた違った姿での太陽を確認しては一眼レフを構えた。
 北アメリカ大陸に入っては雲を覗き、地上が見えないかを何度も確認していた気がする。うっすら何かあるようでないような状態が続いていた。
 ようやく着陸するときになって始めて目視でシカゴ空港周辺の住環境は印象的だった。上から覗くと街全体が碁盤状にきっちりした形で家が並んではそれらが雪化粧によって白く染められているのを見るのはGoogleで航空写真をみてはここにどんな人がどう住んでいるのかと想いをめぐらしていたあのときの感覚であり、それを再び実感することになった。
 

 

pop’n music Sunny park本格稼働なので

pop'n music 20 fantasiaも稼働終わったね。
個人的な感想としては、アプデによる楽曲追加がちょくちょくあったためにイベント終了してからも楽しめる要素は増えたかなって。

今作から増えたネット対戦はあんまり使わなかったなー。判定とかずれるんじゃないかって思うと。そこらへんは次作で頑張ってほしいな。

あとスペシャルサイトの楽曲紹介のバナーやら曲紹介のページのデザインがちょっと簡易的になって残念だなー。
ぼくはチュンソフトやせんごくみたいな文字+バナーの見やすい形式がすきなんだけど。
今回のスペシャルサイトのバナーはどうしてもサイズが小さいんだよね。


あと、fantasiaで一番言及しなければならないのがポップンエストかしら。
赤クエストをやるには、青クエストや緑クエストをやる必要あったけど、どうしても情報源としてネットを見なければならないのが辛いところかしら。クエストだから条件やノルマを課す意図があったんだろうけど。
それでも納得いかないところがあって、デキるならクエストの同時進行いとかやりたかった。

次作から e-amusement paticipationになるけど、それでポップンはどうやって変わっていくんだろうなあ・・・前作みたいに1つの大きなイベントのみで終わるとかじゃいかないんだろうけら、tricoroみたいに小イベントを複数やっていくのかしら。それによってどのくらいクレジットを投下するのかが自分でもわからないし気になります。


ちなみにfantasiaのクレジット投入。バトルモードはクエストのためにやりました。

tune streetのクレジット投入回数をSSでとってたはずだけどなぜかなかった。
350クレぐらいだったのかなー、